スポーツマンガのハズなのに、表紙がどうしても格闘マンガに見えるという不思議作品。
完結してしまったこの我が愛する作品、
後半にいくにつれ、ファンから厳しい声があがっているが、ワタクシ論で弁護もどきをば。
凡人は天才に勝てない。
一瞬の隙で長年の全ては簡単に崩れさる。
願いは叶わない。それが本当のこと。
この点が、さりげなくリアルに描かれているあたりが、魅力的な作品なのだと思う。
後半はこの重大にして悲愴な魅力が損なわれてしまっていたから評判よくないのかなあと。
私としては、「故意にキープレイヤーの腕を折る」とか「物語上での最大のライバルとの決戦は実質準々決勝」とかは、リアリティを売りにしていた上では十分アリだと思ったけどなあ。
大体骨折やらは「やられる方が悪い」という戦いの法則が適用されるのは本当だし。実際の試合でも当たり前に一試合につき数人は怪我での退場者があるスポーツだからね、アメフトって。堂々とやるのはたしかにアレだが、卑怯とか乱暴とかではないと思う。
しかも実は、白秋ダイナソーズという名前は5巻の時点で出てきている。新しく台頭してきたチームだが、その力は謎。という触れ込み付き。
ここんところ気がついていた人はどれだけいるのかなあ・・・
あと、泥門には基本天才ばっかりだと私は判断しています。
セナ、モン太、栗田さん、ムサシさん、(ヒル魔さん)
あたりは天才です。凡人のたどり着ける限界点を超えられるのは、本人がどう思っていようが、なんらかの才があったからこそだと思っています。
ちなみに、水町は天才ですが、筧は凡才の域を出れないと。
ヒル魔さんは後半以降では凡才の代表として描かれていますが、世の中あそこまでIQが高い人もいないので、カッコして天才の枠入り。そもそも彼の指揮官としての頭脳がなければ泥門ここまでこれませんでしたからね! 多分一年で廃部してる!
泥門はキズ付きヒーローがいっぱいいるチーム。と思ってる。
「ポケモンスペシャル」のお陰でまだ小学生から抜けられない。雑誌名的な意味で。
第2部のイエロー編が好きなんです。
あとサカキのおじさんが大好きなんです!!
ゲームやアニメでは単なる王道悪役なサカキさんですが、このマンガのサカキさんはマジに強い魅力的な敵役なので、もうきゅんきゅんなのです!
四天王相手に「若いな」とか言ってやすやす勝ってしまうあなたがステキ・・・! 罠だったけど!
マフィアのボスのくせに「あれは人の手に負えるものじゃない」と判断してすぐさま撤退できるあたりがまさに大人の魅力です。言い換えたらオヤジの魅力です。
生き別れの息子はいるのに奥さんはいないのは突っ込んでいいんでしょうかボス! 野暮ってもんですかボス!
あとロケット団て、サカキさんが蒸発してもみんなボスの帰りを待ってるじゃないですか。原作ゲームでも。
あれってすごいと思うんですね。ものすごいことだ。
裏組織なんてもんはいつも反乱分子がいるし、トップが消えたらすぐに内部抗争起きるはずなのに、みんな健気にボスのこと待ち続けてるんですよ!
「ボス帰ってきて!」と言いたいのが目的でラジオ塔占拠したりしちゃうんですよ!
ひたすら一本気で慕われてるってことじゃないですか! どういうカリスマ性!
英語版というかアメリカ版では、マフィアのボスってことでイタリア名のジョバンニになるそうです。
ジョバンニという名前をいつか自分の作品で使ってやろうと虎視眈眈と狙っています。
「少年舞妓・千代菊がゆく!」シリーズは和やかな気持ちになる。
物語としても、キャラクターの人間性にしても、舞台である京都の風景にしても。
コバルト文庫だからかなあ、BLっていうよりラノベと紹介したい作品。
生粋のヤオラーよりも、むしろ京都に観光に行く友人に面白系ガイドブックとして貸してあげたい作品。
ていうか京都の風景の書き込みが細かすぎて、遠い田舎のオラにはよくわからねえッス。
花見の穴場スポットまで名称つきで載せられちゃうあたり、地元に住んでる作家さんは違う・・・! となにやら格をみせつけられたり。ちなみにK大近くの琵琶湖疏水べりらしいです。
それにしてもこのシリーズ何作でてるんだ?
・・・33冊目!?(こないだ買ってきた(多分)最新作)
えー、ちょ、えー!?
・・・・千代菊はもう中学2年生になれたんかな・・・
トレインスポッティングというイギリス映画がある。ちなみに原題は「Trainspotting」である。
これがなんというか、妙にハマる映画なのである。
どこが魅力的なのかわからない、むしろ魅力的じゃない点を挙げよというほうが楽な気がしちゃうような映画なのに、やっぱりありとあらゆる全てが魅力的なのである。
意味がわからない。だが素晴らしい映画。
という称号をあげたい。
どうかジョークのわかるオトナのみなさんにお勧めする!
でも教育には正直よろしくないな! もう登場人物の呼び名の時点で色々アウトだよな!
簡単に言うと、
チンピラ集団がヤクとセックスと酒と喧嘩に溺れる日々、を描いた映画というか。
あれ・・・簡潔にしすぎた?
ヤクやりながらセックスして腹上死したってよー、とか、女子中学生のくせにエンコーやってんじゃねえよーいいじゃんか実入りいいんだからー、とか、お前またサツに捕まったのかバカだなーヤクで掴まんの何回目だよー、とか、アメリカではイギリス英語話す男はモテるらしいぞ! マジか!?
とかいうアホな映画です。
いやもう本当教育に悪い。スラング飛び交いまくりですようん。
英語字幕で見るとそのすさまじさがわかるかと。ある意味面白い。
ということで見つけた瞬間にサウンドトラックCDをレジに持って行ってしまった自分は悪くない。
にしても、『リョウ』を読み返すごとに海尊と頼朝への愛しさが募ってこまるのだよ!
なにこれ! なんなんだよコレ!!
始めの頃はめっちゃ悪人面で描かれてたのに、後半になればなるほど柔らかい顔になってゆく海尊が・・・愛しい ぜ ・・・!!
最終的に、「義経の家来衆の中での唯一の生き残り」という立ち位置で最終回を迎えた彼は、この作品では「義経伝説の語り部」という役柄なのでしょうか。いや、見守り役かな?
なんにしろ、この作品内でもかなーり自由にキャラクター創作されてますが、とりあえず私は大好きです! 人間くさい魅力!!
義経の最後を看取った唯一の家来として、海尊がそれからどういう人生たどったのかがファンとして一番目くらいに気になるところです・・・平成の世に放り出されちゃって、仲間も頼る人も全て失って、守るべき主も己の背中で亡くなって。女性の遺体かついで号泣している大男、いったいどんな人が保護してくれたんでしょうか・・・やっぱりどっかの寺にでも駆け込んだんかなあ、一応あれでも坊さんだろうし。破戒僧だけど。めっちゃ戦で殺生してるけど。
「命をつなぐためならば、形だけでも祝言をあげられたらいい。頼朝殿の正室となられた上で、義経様の愛人としてならば弁慶と通じることも許されるかもしれないだろう」
「あの頼朝殿がそのようなことを許すと思うのか!?」
「だ、だいたい、二人は兄妹だぞ? 家族として慕っていた頼朝様に手篭めにされて、りょうが衝撃で声が出なくなっちゃったの知ってるだろ?」
「親兄弟での近親婚など、珍しくもあるまい」
「海尊・・・!」
「命のほうがよほど大事だと言っているのだ! 生きている限り逃げ続ける生涯など・・・! 義経様は一体いつになったら・・・!」
現実主義者な海尊が好きです。
理想に生きてる弁慶も素敵ですが、やっぱり悲劇の英雄ぽいなあと思ってしまう。
頼朝兄さまの倒錯ぶりというか、ヤンデレぶりのすさまじさは、
「妹だけど愛している」
ではなく
「妹だから愛している」
な点だと思う。よくある禁断愛とは一味も二味も違うよ! ヤンデレだからね!!
生まれた瞬間から濃い絆をもつ「兄妹」の関係だからこそ、裏切るなんて考えられないし、無条件で愛を向け、向けられる相手。そして血のつながりがあろうが「男女」でもあるから、肉体関係を築くこともできる。
みたいな理屈なんだと思う。兄さまが思ってるのは。
いや本気のヤンデレなんで正直よくわかんないですけどね!
正気な頃も兄妹として溺愛してたからなー・・・兄さまにとっては自然な流れなのかもしれんなあ。そういう方向に愛が向かったのは。いやそれはさすがに違うか、うん。
最初は弁慶との結婚とかにも(ほとんど)口出ししてこなかったもんな。あくまでほとんどだけどな! シスコン兄ちゃんだったことには変わりないぜ!
「同じ源氏同士ならば、血は混ざらぬ。濃くなるだけだ」
知将というより腹黒い兄さまが好きです。一見爽やか系なのにね!
日本の頂点に立つ男なら口約束くらい簡単に反故できるようじゃなきゃ←
でも、もし二人の間に子供ができたらどうするつもりだったんだろう・・・?
海尊と頼朝兄さまがツートップで好きって、あれ、なんかおかしい・・・?
あと海尊が表紙をかざってるわけがなくて、なんか・・・悲しくなった・・・(上記画像)
年季が入った腐女子。だが年季が入り過ぎてよくわからない方向に走り始めている。